[ノーネームの黎明期]③
実際ハッキング対象のリサーチは骨が折れる。雑務から解放されるのは、ありがたい。
また飽きたら、いつでも一抜けできるのが小気味よかった。
というわけで〈影法師〉に「やってもいい」と告げると、すぐにハッキングする相手を提示された。しかも同時に三つ。僕が快諾を見越していた、と言わんばかりの根回しの良さだ。
『好きなのを選んでくれ』
〈影法師〉は僕に選択権を委ねた。前触れなしに丸投げされても参るのだが、イニシアチブを預けられるのは好印象だ。
三つのうち最も防御に金をつぎこんでそうな、東証二部上場の貿易会社を狙うことにした。
事前準備を〈影法師〉にアウトソーシングしても、僕のこなすことは代わり映えしない。扉のロックを解錠し、こっそりお邪魔する。極力足音を忍ばせ、家探しするだけだ。
〈影法師〉との取り決めで、あとに続ける道筋を残すことは忘れないが。
貿易会社へのハッキングも上首尾だった。非合法な物品(麻薬?)の取引を暗号化した帳簿もあったけど、僕の関知するところではない。笑えそうなネタを探したものの、ラインナップはいまいち。居座る用事もないので、おいとまする。
こうして僕と〈影法師〉の技術協定がスタートした。
やつは僕の要求通り、難しめの案件を厳選する。僕は電子戦に全精力を傾けるだけでいい。名だたる大企業や官公庁、著名な政治家や高級官僚などと、ターゲットは千差万別だ。
全戦全勝なのは言わずもがな。持ちつ持たれつで担当分野のすみ分けが一因だろうか。
面倒ごとが己の手を離れ、心に余裕ができたせいかもしれない。今まで想像だにしなかったことを手がけたくなった。
自分の実績を衆目にさらすこと、だ。少しくらい許されるよな。
全国紙を発行する新聞社のハッキングを皮切りに、僕は名を刻みこむことにした。といっても公式HPにでかでか『ナナシ参上』などと記しはしない。書く場所くらいわきまえている。
一般ユーザーは素通りするけど、ハッカーの端くれなら目をとめるログファイルだ。同業者だけに伝わる符丁を残した。平たく言えば、犬のマーキングと一緒か。
ちなみに書き記す文言は統一した。
『No Name』
名前なしのログなんて使いものにならないけど、逆説めいて風刺がきいていると僕は思う。
この行為は〈影法師〉の知るところとなる。あいつは全体の進捗を管轄する、支配人的立ち位置だ。やつが把握していて僕らがあずかり知らぬことはあっても、その逆はあり得ない。
でも僕の売名行為に対し、〈影法師〉は何も物申さなかった。
ただし、このころを境にだろうか。やつの態度に変化の兆しが見え隠れしたのは。僕にだけ情報を通達しないなどというひいきはなかったものの、温度差を肌で感じた。
だからといって僕が〈影法師〉にこびへつらう道理もない。だって僕は、あいつの家来じゃないもの。僕たちの間に上も下もない。嫌気がさしたら、おさらばするだけのインスタントな隣人だ。お互いに利用価値があるから寄り添っているにすぎない。
僕は〈影法師〉の大志なんかに興味ないし、あいつだって僕の将来なんかシカトだろう。
僕には僕の生き方があり、あいつにはあいつの生き様がある。それがぴったり重なるなんて、天文学的な確率にすがったりしない。がんじがらめで傷をなめ合うなど、弱虫の処世術だ。
だから僕は我が道を行く。〈影法師〉になんと思われようと、名を刻み続けてやる。
たとえ抹消が容易なデジタルデータであっても、僕という人間が救いのない世を生き抜いた証左になると信じて。
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『ナナシ、一勝負しないか』
出し抜けに〈影法師〉が持ちかけてきた。
「僕は構わないぜ。ゲーム内容とルールは?」
『シンプルにいこう。私はハッキング対象のアドレスのみ伝える。ナナシは事前情報なしに、出たとこ勝負で攻略に着手する』
「ふーん。ぶっつけ本番ってことね。ゲームなんだし、どうせなら何か賭けないか。謎の迷宮を渡りきったら僕の勝ち。途中で阻まれたら、あんたの勝ちだ」
『うん。賭け金があると俄然盛り上がる。じゃあこういうのはどうかな。敗者が、己の秘密を一つ勝者に教えるんだ』
「ぬふっ。なんだよ、そりゃ。たとえ負けても損害なんかないのと同義じゃん。だって本人のさじ加減で、大ボラ吹けるんだから」
『ナナシは偽証などしないと思うからね。なぜなら君、上っ面の絵空ごとを嫌悪してるだろう。憎悪、といったほうが適切かな』
僕は絶句した。こいつはどこまで僕の人物像に、迫っているのだろう。
つくづく底知れないやつだ。
「おいおい、もう勝った気でいるのかよ。あんたに先見の明があるのは認めるけど、勝負ってのは下駄を履くまで分からないもんだぜ」
『しかり、だね。勝って兜の緒を締める、くらいの覚悟で臨まなければなるまい。なんたって君は数少ない私の理解者、【デミゴッド】級ハッカー〈ノーネーム〉のナナシだからね』
ごてごてと装飾過多なリップ・サービスだな。そして見当外れもはなはだしい。
僕が押さえているのは、〈影法師〉というハンドルネームだけなのだから。
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〈影法師〉とのギャンブルが火ぶたを切った。
目隠しに近い状態で、指定されたアドレスへと赴く。目の当たりにした途端、悟った。
ここはやばい。
アドレスの順列組み合わせから、舞台が海外くらいは心得ていた。当てずっぽうで『スイス銀行とかかな』と思ったのだが、外れのようだ。
物々しさが民間の水準と桁違いだったから。防壁の密度が群を抜いてる。侵入者がわんさか押し寄せるのを予知し、撃滅を念頭に置いたであろう造り。温情なんてあったもんじゃない。
たぶん一歩踏みこんだだけで、無残にもハチの巣にされる。セキュリティ対策は世界最高峰――僕が挑んだ中でぶっちぎりの首位だ。
しっくりくる言葉は〝結界〟。あるいは〝聖域〟だ。
「〈影法師〉、僕の声は届いてるか」
『愚問だね。ナナシのファンである私が、一世一代のショーを見逃すものか。おまけに今回は賭けごとまでしているんだ。モニタリングしない手はないよ』
「一つ頼みがある」
『ほぉ~。強気が常の君にしては、珍しくけなげだな。承ろう』
言葉を濁したけど、本当は『強気』じゃなく『傲慢』と言いたかったのかもしれない。僕は連戦連勝で天狗になっていた節もあるし。
「手下に叱咤でもして、命綱を僕につけてくれないか。やばそうだったら合図するから、僕をピックアップして欲しい」
『おや。退路の要求、とはね。体調がすぐれないのかい。ナナシがおじけづくところを、私は初めて目撃したよ』
弱気を見透かされ、動転してしまう。
「べ、別にビビってなんかない。ただし敵が敵だ。過小評価して下手こきたくない。用心するに越したことないだろう」
『後顧の憂いをなくしたい、と。いいだろう。抜かりなく手配しておくよ』
「恩に着る。じゃあゲームスタートだ」
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〔続く〕