[エピタフからの刺客]⑧
太っちょ男が銀髪の姉に語りかけた。
「心配症ね、あんた。ほかならぬ〈エピタフ〉が言ったんじゃない。裁量権はうちらにある、って。サイは投げられたの。変則的だろうと、文句たれる筋合いはない」
「そうだけど」
「あいつの名をちらつかすのが、最も効果的なのよ。ぐじぐじ言うくらいなら〈エピタフ〉に一報入れといて」
「どんな報告、なんだな」
銀髪女が邪悪にせせら笑う。
「『これから最愛の元カレを寝取ります』かな」
「『〈ノーネーム〉をたたき潰します』の安牌路線に適宜変換するんだな」
「無難でエッジがきいてないけど、よしとするかな。んじゃあんたがメールを送り次第、始めましょう。兄貴、スタンバイは?」
銀髪女のタブレット画面に丸坊主男からの返答がポップアップする。
『愚問だな。武者震いが抑制できないくらい高ぶっている』
銀髪女が唇を三日月形にする。
「紳士淑女の皆々さま。刮目なさってくださいな。もうじき、道化師の道化師による道化師のための舞踏会、開幕でございます」
√ √ √ √ √
『Dear 〈ノーネーム〉のナナシ様
はじめまして。当方〈八咫烏〉と申します。
お払い箱になった貴殿の後任で、〈エピタフ〉と懇意にしているハッカーです。
突然ですけど、〈千里眼〉が収集した機密データをまるごといただきたいと思い、推参することにいたしました。
なお、貴殿の認可はいりません。
近々当方が、有無をいわさずちょうだいしますので。
願わくば小競り合いなどしたくありませんが、抗うのなら排除もやむなしと考えます。
無駄な抵抗はお控えください(貴殿が迎合するファック警察の常套句)。
では震えながら、指をくわえてお待ちいただければ幸いです。
P.S. 〈アビスルート〉のお嬢様方とは意気投合しましたか?』
「ハッキング予告とは、味なマネをしてくれる」
宍戸がナナシのトリプルモニターを眺め、言った。
「〈八咫烏〉か。日本神話に登場する三本足のカラス。聞き覚えのある者は?」
「わたくしは存じません」
「あたしも初耳」
席について厳戒態勢を整えるミカとノエルが答えた。
「ナナシはどうだ。おまえの後釜とうそぶいているが」
「知らないね。知ってたとしてもやることに変わりない。〈エピタフ〉に連なる烏合の衆は、やつと同罪。骨の髄まで細切れにしてやるだけだ」
ナナシは宍戸を一顧だにせず、吐き捨てた。
「頼むから我を忘れるなよ。おまえが後先考えず暴れまわると過剰防衛どころか、騒乱になりかねない。あとのことはミカ――」
「誰が呼び捨てしていいと言った。『様』をつけろ、おっさん」
ノエルが宍戸に釘を刺す。
「ミカ、くん。俺はしばらく席を外す。一時的に二人の監督役を委任する」
ミカがくすりと笑む。
「『くん』づけとは斬新ですね。宍戸さんはいずこへお出かけですか」
「〈八咫烏〉について調べる。情報があれば、君らも応戦しやすいだろう」
「承知しました。大役、仰せつかりましょう」
宍戸はやや後ろ髪引かれながらも、会議室を辞した。
「ナナシん、敵が襲来したときの作戦ですが」
「戦術なんて不要だ。僕が一人で血祭りにあげる」
ミカがモニター越しで、けげんそうにナナシを見る。
「ならばわたくしたちは何をすれば」
「あんたらは二人でサーバーへ続く道を死守。一歩も動かず、専守防衛だ」
「なんだ、そのおざなりな指示は。お姉さまのありがたい言葉を忘れたのか。指揮官としての責務を果たしてだな」
「私語を慎め、暴力女。敵さん、もうお出ましだぞ」
ノエルとミカが液晶画面に目を戻すと、不正侵入を告げるアラートが出ていた。
「電光石火のご到着ね。素性を洗われる前に、チェックメイトさせる手はずでしょうか」
「お姉さま、いかがいたしましょう」
ノエルはキーボードに手を置いたまま、ミカの指令を待っている。
「血気盛んに持ち場を離れるなよ、暴力女。会敵までにはワンクッションある。やつらは関所を突破しなくちゃならないからな」
「『関所』ってのはなんだよ、マセガキ」
「〝防壁迷路〟だ。解説が億劫なんで、ソースの場所だけ教える。そいつでもじっと眺めて、暇潰ししてろ」
ナナシは二人のパソコンへ、ファイルのディレクトリを伝達した。
すかさずミカが指定のリンク先へ飛び、中身を検分する。
「ふむ。見事なコーディングですね」
「お姉さま、どんな仕組みなんですか。あたし、どうも他人のプログラムを追うのが苦手で。壊すのならお茶の子さいさいですが」
「いつまでも甘えちゃダメですよ、ノエル。ハッカーとしてステップアップしたければ、他者から学ぶことも覚えなくては」
はい……、とノエルは縮こまった。
「しょうがない娘ね。今回だけですよ」
ミカが瞬時に方針転換した。ノエルを懐柔する小技、『アメとムチ』だろう。
「侵入者は、足を踏み入れるごとに構造が変化する『迷路』を越えねばならない。制限時間もシビアで、タイムアップと同時に入口へ強制転移されます」
「迷路、ですか。侵入者を駆除するカウンタープログラムがうろついていたりは」
「しませんね。ひたすら分かれ道が続くだけです」
肩透かし、という具合にノエルは息を吐く。
「ただの迷路なら手当たり次第に進めば、いつかゴールへ着くじゃないですか。大した障壁になりませんよ」
「――と、楽天的なクラッカーは考える。でもそれでは永遠にクリアできません」
「なぜです」
「間違ったルートに入った途端、『落とし穴』が作動するからです。時間切れと同じく、振り出しに戻ることとなります」
「うわっ、陰湿。つまり最初から最後まで、正しいルートをたどらなくちゃならないってことですよね」
ミカが首を縦に振る。
「ひと思いにはほふらない、真綿で首を絞めるかのごとき無限ループです」
「二人していちゃもん三昧だな。相手を虐殺しないだけ人道的だろうが」
ミカが鼻白む。
「『人道的』が聞いてあきれます。ナナシんはふるいにかけているのでしょう」
「お姉さま、何と何をより分けているのですか」
「迷路など物ともしない強大な敵か否か、です」
「人をバトルジャンキーみたいに言わないでくれるかな。どっちかっつーとバーサーカーは、そっちの小娘だろうに」
「ご所望なら今すぐ引導渡してやろうか、マセガキ」
ノエルが一子相伝の暗殺拳伝承者のごとく、指を鳴らした。
「やめとくよ。おまえはもっと育ってから食ったほうが、うまそうだ」
ナナシはライバルに対する言葉として口にしたつもりだ。
「貴様……」
けどノエルは曲解したらしく、頬を赤らめている。
「ナナシん、敵の選別のほかにも、迷路にこめた意義があるでしょう」
「ふーん」ナナシがミカを見つめる。「ただ者じゃないな。初見のコードで、そんな機微まで解析しちまうとは」
ノエルは二人のやり取りがお気に召さぬらしい。
「あたしだけのけ者にしないでください。迷路には何が隠されているのですか」
「え、ああ。ごめんなさいね、ノエル。強者の判定と――」
√ √ √ √ √
「敵の力量を見抜きたいのか。うちらがどういったパラメータのクラッカーか、探りを入れているわけだ」
銀髪女がタブレット端末でフリック入力しつつ言った。
「しゃらくさい。こんな見え透いたギミックに引っかかるかよ。要は手の内を悟られる前に、ノーミスの最短時間で突破すりゃいいだけじゃない。いけるんでしょ、愚弟」
「姉さん、任せてなんだな」
太っちょ男がノートパソコンのキーを激しく打鍵した。
「防壁迷路を抜けるまで、どれくらいかかりそう?」
「あと四十秒ほど、なんだな」
「あんた、仕事だけは手早くて頼りになるね」
太っちょ男が手を休めることなく憤激する。
「『だけ』は字余りなんだな」
「システムのアシストがあってこそだから、あんたも図に乗るんじゃないの」
銀髪女にたしなめられて、太っちょ男は黙々とキータッチにいそしんだ。
「兄貴は一休みね。三十秒後、馬車馬のように働いてもらうから。事前の打ち合わせ通りに、ことを進めて」
『ダブルワークか。人使いの荒い妹だ』
銀髪女の液晶画面にゴシック文字が浮かび上がる。
「軽やかにガキを籠絡したら、兄妹水入らずでバカンスでもしましょう。マンネリ化した二束三文の下働きとも、しばしの辛抱でおさらばできるわ」
√ √ √ √ √
〔続く〕