[アビスルートの功罪]④
どこから調達したのか、ミカは優雅に紅茶を堪能していた。
黄昏時のティーパーティー。芳醇な香りと湯気がコンピュータルームに拡散する。
「お、お姉さま!」
ノエルが血相変えて語気を荒らげた。
「どうしたんですか、騒々しい。せっかくの平安なティータイムが台なしです」
「それどころでは――いいえ、お姉さまに盾突くなどもってのほかでした。反省」
ノエルはティーカップを傾け、一息で嚥下した。
気品もへったくれもない。ビール一気飲みのノリだ。
ソーサーに空のカップを置き、報告を再開する。
「現在何者かによって、我が聖カトレア女学院がサイバー攻撃を受けています」
ミカの柳眉がぴくりと動く。
「クラッキング、ですか。三つの門のうち、アタックされているのはどこ?」
「三 つ と も です」
事態の深刻さを認識したのか、ミカはティーカップを置いた。
直ちにデュアルディスプレイへ体の向きを変える。
「こしゃくなマネをしてくれますね。同時多発テロのつもりかしら」
「み、ミカお姉さま……あたしは何をすれば」
「まずは落ち着きなさい。大方賊はなんの変哲もないクラッカーでしょう。わたくしたち二人がかりならば、返り討ちなど造作もない。違いますか?」
「違いませんっ。あたしとお姉さまは一心同体、最強のコンビです!!」
ノエルのつぶらな双眸から動揺の色がすっかり消えうせた。
ミカは首肯し、華麗なキーさばきでコマンドを打ちこんでいく。キーボードを打鍵しているというより、ピアノを弾いているかのようだ。
二つのモニターに映しだされたウィンドウが、息もつかせぬ速度で流転していく。
「なるほどね」ミカがキータッチを中断し、吐息を漏らした。「大いなる誤算、と認めざるを得ないようです。わたくしもまだまだ未熟でした」
「お姉さまが計算違いなさるはず、ありません。あったとしても、それは問題自体が論理破綻しているんです」
「わたくしとて一介の女子高生ですよ。過ちくらい犯します」
依然として物申したそうなノエルの唇を、ミカが人差し指で封じた。
ノエルはほっぺを紅潮させ、チャックを閉められたかのごとく押し黙る。
「いいこと、ノエル。このハッカー、ザコなんてとんでもない。相当な手だれです。わたくしに匹敵――いいえ、凌駕しているでしょうね」
ノエルの小顔が青ざめる。
「そんな……バカな。【ウィザード】級のお姉さまより上となると、【デミゴッド】か【グル】になってしまいます」
「【グル】は過大評価ですよ。しかしながら【デミゴッド】には達しているはず」
「だとしても、充分に脅威です。それほどの化け物がなぜ、うちの学校を襲うのですか」
ミカが拳を口元に当てる。
「わたくしもそこが解せないの。だって聖カトレア女学院には、躍起になるほど金目のデータはないのだから」
聖カトレア女学院はITの全面導入に消極的だ。従って貴重な電子データ類は、ほぼ絶無。いきおい、ネットワークのセキュリティもざるに等しい。
そこで白羽の矢が立ったのがコンピュータ部だ。ミカとノエルのITスキル頼りで、強固な防衛網を構築した。取りも直さず、学内ネットワークは彼女たちが牛耳っている、といっても差し支えない。
ゆえにミカは釈然としないのだろう。ハイリスク・ローリターンにもかかわらず、サイバー戦争を仕掛ける無鉄砲ぶりが腑に落ちなくて。
「力を誇示したい、わけでもないでしょうに……。ふむ、何か裏がありそうね」
「敵の真意がどうあれ、駆逐してやればいいだけの話です。お姉さまが頭脳で、あたしが手足。以心伝心のコンビネーションで、目にもの見せてやりましょう」
ノエルがガッツポーズした。から元気に見えなくもない。
「うふふ、心強いですね。全くもってあなたの言う通り。やられてもただでは起きないのが、わたくしたちの流儀です」
「はい。それで、お姉さま。手合わせして、賊のプロファイリングはできましたか」
「おおむねってところかしら。まずクラッカーは複数犯じゃない」
ノエルがきょとんとした。
「えっと、ゲートが一つ残らずハッキングされてますよ。単独での同時攻撃は、至難の業じゃありませんか」
「無論です。けれど敵の狙いは十中八九〈ベガ〉。〈アルタイル〉と〈デネブ〉は陽動である可能性が極めて高い」
「な、なぜです。どうして囮と言いきれるのですか」
ミカがノエルのパソコン画面を指さす。
「〈デネブ〉と〈アルタイル〉をご覧なさい。アタックに一定のリズムがある。巧妙に偽装を施してありますが、ワンパターンの感は否めない。自律思考型のクラッキングAIか、ハックの際補助的に用いる自動アルゴリズム、といったところでしょう。どの道、わたくしたち相手ではデコイに使うのが関の山です」
ノエルは液晶モニターを食い入るように見つめた。じきに「あぁ」とため息をつく。
「〈ベガ〉に照準を絞ったことで、賊の人となりもおおよそ分かる。性別は男。セクハラ常習の中年オヤジか、油ギッシュで二次元厨のオタクでしょうね」
「お、お姉さま――その心は?」
「わたくしたちが組んだ三枚のゲートは、言わずと知れた『夏の大三角』にちなんでいます。〈ベガ〉は何座ですか?」
「織姫、です」
「グレイト。一直線に姫を毒牙にかけるなど、性欲の権化である男ならではの暴挙です」
単に最も手薄だからでは、という反ばくをノエルは飲みこんだ。
〈ベガ〉は他の二つに先駆けて作成した門。プロトタイプゆえに〈デネブ〉と〈アルタイル〉より脆弱で、欠陥も多い。
さりとてノエルにとってそんな理屈は些事だ。ミカが「キモオタ」と断定するのなら、敵はキモいオタクに相違ない。
女神のお告げは唯一無二なのだ。
たとえ「カラスの羽が白い」と耳打ちされても、『漆黒ではありますまいか』と疑念を抱くなど無作法を通り越して、おそれ多いのだから。
「防護壁の一つや二つくらい、固執せずにくれてやりましょう。なあに。本丸さえ守り抜けば、どうということもない。もっとも土足で踏み荒らしておきながら、おめおめ帰れると思わないことね。代償は高くつくと心得なさい」
ミカが防御を放棄するや、門のソースが徐々に変容していった。
「あらあら、ウィルス注入とはセオリー通りね。セキュリティホールを広げて突破するつもりかしら。どうぞおいでませ。そして醜悪な形相をさらしなさい。あなたはどこの何者?」
後手に回っているにもかかわらず、ミカは喜色満面だった。
デートの約束の場所で恋人を待ちわびる淑女というより、強敵とまみえるのを心待ちにした武芸者さながらだ。
「なん、だって。こいつ、いったい何をしているの!?」
一方で驚愕の表情を浮かべるノエル。彼女は〈ベガ〉の破壊を推測したのだ。短時間で全壊は無茶としても、基幹プログラムの破損くらいは覚悟していた。
だのに〈ベガ〉は無傷で、鎮座ましましている。
「お姉……さま」
ノエルは不安げにミカを見やった。
ミカはソースの破損具合を吟味している。
「最小労力で最大効果を得る。敵はそれを実践してみせたのでしょう。プログラムの一部分が微妙に書き換わっています。通行の制限を緩めて、特定ユーザーが自由に行き来できるようにしたみたい」
「と、特定ユーザー、というのは――っ!!」
ノエルも変質箇所を目視し、絶句した。
「わたくしたちが手塩にかけた織姫を蹂躙して、あまつさえたぶらかすとは卑劣この上ない。しかもあろうことか、〝かのハッカー〟を標榜するとはね。『いい度胸』と言いたいのは山々ですけど、こうまであからさまだと稀代の阿呆じゃないかしら」
「お姉さま、この身のほど知らず、徹底的にすり潰していいですか」
目の色変えたノエルが、チュッパチャプスをくわえた。砕きそうな勢いで乱暴に噛む。
彼女にとって戦闘モードになるための『ゲン担ぎ』に近い。
「許可します。完膚なきまでに殲滅してやりましょう」
ミカが手首のシュシュを外し、黒髪を一房に束ねる。
これも彼女なりの臨戦態勢へ入るための切り替えスイッチだ。
黄昏時のティーパーティー。芳醇な香りと湯気がコンピュータルームに拡散する。
「お、お姉さま!」
ノエルが血相変えて語気を荒らげた。
「どうしたんですか、騒々しい。せっかくの平安なティータイムが台なしです」
「それどころでは――いいえ、お姉さまに盾突くなどもってのほかでした。反省」
ノエルはティーカップを傾け、一息で嚥下した。
気品もへったくれもない。ビール一気飲みのノリだ。
ソーサーに空のカップを置き、報告を再開する。
「現在何者かによって、我が聖カトレア女学院がサイバー攻撃を受けています」
ミカの柳眉がぴくりと動く。
「クラッキング、ですか。三つの門のうち、アタックされているのはどこ?」
「
事態の深刻さを認識したのか、ミカはティーカップを置いた。
直ちにデュアルディスプレイへ体の向きを変える。
「こしゃくなマネをしてくれますね。同時多発テロのつもりかしら」
「み、ミカお姉さま……あたしは何をすれば」
「まずは落ち着きなさい。大方賊はなんの変哲もないクラッカーでしょう。わたくしたち二人がかりならば、返り討ちなど造作もない。違いますか?」
「違いませんっ。あたしとお姉さまは一心同体、最強のコンビです!!」
ノエルのつぶらな双眸から動揺の色がすっかり消えうせた。
ミカは首肯し、華麗なキーさばきでコマンドを打ちこんでいく。キーボードを打鍵しているというより、ピアノを弾いているかのようだ。
二つのモニターに映しだされたウィンドウが、息もつかせぬ速度で流転していく。
「なるほどね」ミカがキータッチを中断し、吐息を漏らした。「大いなる誤算、と認めざるを得ないようです。わたくしもまだまだ未熟でした」
「お姉さまが計算違いなさるはず、ありません。あったとしても、それは問題自体が論理破綻しているんです」
「わたくしとて一介の女子高生ですよ。過ちくらい犯します」
依然として物申したそうなノエルの唇を、ミカが人差し指で封じた。
ノエルはほっぺを紅潮させ、チャックを閉められたかのごとく押し黙る。
「いいこと、ノエル。このハッカー、ザコなんてとんでもない。相当な手だれです。わたくしに匹敵――いいえ、凌駕しているでしょうね」
ノエルの小顔が青ざめる。
「そんな……バカな。【ウィザード】級のお姉さまより上となると、【デミゴッド】か【グル】になってしまいます」
「【グル】は過大評価ですよ。しかしながら【デミゴッド】には達しているはず」
「だとしても、充分に脅威です。それほどの化け物がなぜ、うちの学校を襲うのですか」
ミカが拳を口元に当てる。
「わたくしもそこが解せないの。だって聖カトレア女学院には、躍起になるほど金目のデータはないのだから」
聖カトレア女学院はITの全面導入に消極的だ。従って貴重な電子データ類は、ほぼ絶無。いきおい、ネットワークのセキュリティもざるに等しい。
そこで白羽の矢が立ったのがコンピュータ部だ。ミカとノエルのITスキル頼りで、強固な防衛網を構築した。取りも直さず、学内ネットワークは彼女たちが牛耳っている、といっても差し支えない。
ゆえにミカは釈然としないのだろう。ハイリスク・ローリターンにもかかわらず、サイバー戦争を仕掛ける無鉄砲ぶりが腑に落ちなくて。
「力を誇示したい、わけでもないでしょうに……。ふむ、何か裏がありそうね」
「敵の真意がどうあれ、駆逐してやればいいだけの話です。お姉さまが頭脳で、あたしが手足。以心伝心のコンビネーションで、目にもの見せてやりましょう」
ノエルがガッツポーズした。から元気に見えなくもない。
「うふふ、心強いですね。全くもってあなたの言う通り。やられてもただでは起きないのが、わたくしたちの流儀です」
「はい。それで、お姉さま。手合わせして、賊のプロファイリングはできましたか」
「おおむねってところかしら。まずクラッカーは複数犯じゃない」
ノエルがきょとんとした。
「えっと、ゲートが一つ残らずハッキングされてますよ。単独での同時攻撃は、至難の業じゃありませんか」
「無論です。けれど敵の狙いは十中八九〈ベガ〉。〈アルタイル〉と〈デネブ〉は陽動である可能性が極めて高い」
「な、なぜです。どうして囮と言いきれるのですか」
ミカがノエルのパソコン画面を指さす。
「〈デネブ〉と〈アルタイル〉をご覧なさい。アタックに一定のリズムがある。巧妙に偽装を施してありますが、ワンパターンの感は否めない。自律思考型のクラッキングAIか、ハックの際補助的に用いる自動アルゴリズム、といったところでしょう。どの道、わたくしたち相手ではデコイに使うのが関の山です」
ノエルは液晶モニターを食い入るように見つめた。じきに「あぁ」とため息をつく。
「〈ベガ〉に照準を絞ったことで、賊の人となりもおおよそ分かる。性別は男。セクハラ常習の中年オヤジか、油ギッシュで二次元厨のオタクでしょうね」
「お、お姉さま――その心は?」
「わたくしたちが組んだ三枚のゲートは、言わずと知れた『夏の大三角』にちなんでいます。〈ベガ〉は何座ですか?」
「織姫、です」
「グレイト。一直線に姫を毒牙にかけるなど、性欲の権化である男ならではの暴挙です」
単に最も手薄だからでは、という反ばくをノエルは飲みこんだ。
〈ベガ〉は他の二つに先駆けて作成した門。プロトタイプゆえに〈デネブ〉と〈アルタイル〉より脆弱で、欠陥も多い。
さりとてノエルにとってそんな理屈は些事だ。ミカが「キモオタ」と断定するのなら、敵はキモいオタクに相違ない。
女神のお告げは唯一無二なのだ。
たとえ「カラスの羽が白い」と耳打ちされても、『漆黒ではありますまいか』と疑念を抱くなど無作法を通り越して、おそれ多いのだから。
「防護壁の一つや二つくらい、固執せずにくれてやりましょう。なあに。本丸さえ守り抜けば、どうということもない。もっとも土足で踏み荒らしておきながら、おめおめ帰れると思わないことね。代償は高くつくと心得なさい」
ミカが防御を放棄するや、門のソースが徐々に変容していった。
「あらあら、ウィルス注入とはセオリー通りね。セキュリティホールを広げて突破するつもりかしら。どうぞおいでませ。そして醜悪な形相をさらしなさい。あなたはどこの何者?」
後手に回っているにもかかわらず、ミカは喜色満面だった。
デートの約束の場所で恋人を待ちわびる淑女というより、強敵とまみえるのを心待ちにした武芸者さながらだ。
「なん、だって。こいつ、いったい何をしているの!?」
一方で驚愕の表情を浮かべるノエル。彼女は〈ベガ〉の破壊を推測したのだ。短時間で全壊は無茶としても、基幹プログラムの破損くらいは覚悟していた。
だのに〈ベガ〉は無傷で、鎮座ましましている。
「お姉……さま」
ノエルは不安げにミカを見やった。
ミカはソースの破損具合を吟味している。
「最小労力で最大効果を得る。敵はそれを実践してみせたのでしょう。プログラムの一部分が微妙に書き換わっています。通行の制限を緩めて、特定ユーザーが自由に行き来できるようにしたみたい」
「と、特定ユーザー、というのは――っ!!」
ノエルも変質箇所を目視し、絶句した。
「わたくしたちが手塩にかけた織姫を蹂躙して、あまつさえたぶらかすとは卑劣この上ない。しかもあろうことか、〝かのハッカー〟を標榜するとはね。『いい度胸』と言いたいのは山々ですけど、こうまであからさまだと稀代の阿呆じゃないかしら」
「お姉さま、この身のほど知らず、徹底的にすり潰していいですか」
目の色変えたノエルが、チュッパチャプスをくわえた。砕きそうな勢いで乱暴に噛む。
彼女にとって戦闘モードになるための『ゲン担ぎ』に近い。
「許可します。完膚なきまでに殲滅してやりましょう」
ミカが手首のシュシュを外し、黒髪を一房に束ねる。
これも彼女なりの臨戦態勢へ入るための切り替えスイッチだ。
聖カトレア女学院コンピュータ部二人による反撃ショーが、厳かに開演された。
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〔続く〕