[アビスルートの功罪]⑤
「ふーんふふーん ふふふふーんふーんふふーん ふふふふーんふーんふふーん」
ナナシはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番『第一楽章』をハミングしながら、キーを打っていた。
『鼻歌交じりとは快調だな。できれば随時、実況解説してもらえると助かるんだがね』
フィクサーSはナナシの集中力が乱れない程度に茶々を入れた。
「快調……ふひひ。順調ってのは、あながち外れてないかもな」
『なんだよ、その歯切れの悪さ。相手がお嬢様だからって、悠長に手心加えているんじゃあるまいな』
「手加減なんかしてる場合かっつーの。何しろ僕が、足踏み状態だぜ。のんきに油断してたら、こっちが噛みちぎられる」
ナナシは戦況をこともなげに述べた。
『ふざけてるのか。おまえのランクは泣く子も黙る【デミゴッド】級。クラッカーとして彼女たちより優れてないと、本末転倒だ。俺をたばかってないで真面目に働け』
フィクサーSの声色にはいらだちが紛れていた。
「あんたも無粋で石頭だな。サシの勝負なら僕に分がある。後れをとるなど、万に一つもない。けどあっちは単品じゃないんだよ。【ウィザード】級、かけることの2だ」
『一対二か。一兵卒ならいざ知らず、将校クラスに徒党を組まれると厄介だな。数合わせで俺が参戦したところで、足手まといにしかならないし』
「手応えとしては『1+1』の足し算よりか相乗作用、って感じだけどね。しかも魔術師同士の連携ときた。その破壊力たるや、計り知れないほどの凶悪コンボさ」
フィクサーSがはれ物に触るような口調で尋ねる。
『勝算は、あるんだろうな』
ナナシは質問を聞き流し、ご満悦に口元をつり上げる。
「やる気がみなぎる餌をばらまいたら、予定調和で効果てきめんだったし。あちらさん、僕の〝伝言〟を目の当たりにしてブーストかかったみたいだ。にひっ。こうでなくちゃ、ぞくぞくしない」
『「伝言」ってのは初耳だぞ。何しでかしたんだ、おまえ』
「人聞きが悪いな。他愛ないいたずらだって」
ナナシはおどけた。
『おまえのいたずらほど、始末におえないものはないんだよ』
「信用ゼロとは、へこむわ~。まぁあんたは僕の悪事を熟知してるし猜疑心マックスなのも、さもありなん、か」
皮肉たっぷりの自虐をかました。
「白状するって。さっき〈ベガ〉のプログラムいじったろ。ただ壊すなんて芸がないじゃん。だから小細工しておいたんだ。僕のみノーチェックで通れるように。顔パス、みたいに思ってくれていい。傑作なのは僕自身を識別する暗号名でな。我ながらシャレがきいてる」
『とめどなく胸騒ぎがするんだが。その識別コードネームってのは――』
ナナシは間髪入れずに答える。
「〝Abyss Root〟。老若男女をにぎわす〈虚数 輪廻 〉の名をかたられたら、やつらも心穏やかじゃいられないだろうよ」
悪びれる様子はない。逆にどや顔する有り様だ。
頭痛がするのか、フィクサーSはややしばらく黙りこくった。やおら口を開く。
『なぜ彼女たちを挑発したんだ。闇雲にヤブ蛇つついて、おまえにどんな利益がある』
「『利益』とはすこぶる仰々しいな。メリットにデメリット? んなもんないね。強いて言うなら――決闘にふさわしい『晴れ舞台』を整えてやったのさ。どうせやるならクソゲーなんて、盛り上がりに欠けるだろう。神ゲーに出会えりゃ言うことなしだけど、それが高望みってことぐらいは、僕だってきちんとわきまえてる」
『道楽じゃないんだぞ……いや、おまえにとってクラッキングはゲーム感覚、か』
半ば降参というように、フィクサーSがささやいた。
ハッキングに対するナナシの倫理観は『いびつ』の一言に尽きる。そこに善悪の概念はなく、あるのは、やりがいの有無。
面白いか、興ざめかの二択だ。
『んで、勝ち目はあるんだろうな。負けたらどうなるか、「失念した」とは言わさんぞ。俺もおまえも仲良く破滅だ。俺たちは綱渡りの一蓮托生。最悪、一生ブタ箱送りになりかねない。その年で臭い飯を食いたかないだろう』
「おえっ。なんとも薄気味悪い運命共同体だ」
ナナシはえずくふりをした。
「ところであんた、ガンダムマニアじゃなかったっけ」
『なんだ、ヤブから棒に。俺はマニアってほどじゃない。ファースト辺りをコンプリートしているにすぎねぇよ』
「そいつは重畳。んで、なんつったっけ。あの、モビルスーツの周りを衛星みたいに浮遊して、ビーム撃ちまくるちっこいやつ」
『ファンネル、か?』
ナナシがかしわ手を打つ。
「おー、それそれ。謎が解けた。あんた、今日最大のグッジョブだったかもな」
『どういうことか説明しろ』
ドスの利いた声で詰問するフィクサーS。
「だから逆転の秘策じゃんか」
ナナシがキータッチを加速させた。
「名づけて、ファンネルアタック。目には目を歯には歯を、物量には物量戦を、ってね」
『おまえの意図が微塵も伝わってこないんだが……。会話のキャッチボールを一から学ぶべきじゃないのか』
フィクサーSの苦言はナナシの耳に届かぬ模様だ。
「さぁて、どう出る、お嬢ちゃん。これでこっちはだいぶ楽ちんだ。余剰タスクでついでに、ラストステージへの布石でもしておくか」
ナナシはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番『第一楽章』をハミングしながら、キーを打っていた。
『鼻歌交じりとは快調だな。できれば随時、実況解説してもらえると助かるんだがね』
フィクサーSはナナシの集中力が乱れない程度に茶々を入れた。
「快調……ふひひ。順調ってのは、あながち外れてないかもな」
『なんだよ、その歯切れの悪さ。相手がお嬢様だからって、悠長に手心加えているんじゃあるまいな』
「手加減なんかしてる場合かっつーの。何しろ僕が、足踏み状態だぜ。のんきに油断してたら、こっちが噛みちぎられる」
ナナシは戦況をこともなげに述べた。
『ふざけてるのか。おまえのランクは泣く子も黙る【デミゴッド】級。クラッカーとして彼女たちより優れてないと、本末転倒だ。俺をたばかってないで真面目に働け』
フィクサーSの声色にはいらだちが紛れていた。
「あんたも無粋で石頭だな。サシの勝負なら僕に分がある。後れをとるなど、万に一つもない。けどあっちは単品じゃないんだよ。【ウィザード】級、かけることの2だ」
『一対二か。一兵卒ならいざ知らず、将校クラスに徒党を組まれると厄介だな。数合わせで俺が参戦したところで、足手まといにしかならないし』
「手応えとしては『1+1』の足し算よりか相乗作用、って感じだけどね。しかも魔術師同士の連携ときた。その破壊力たるや、計り知れないほどの凶悪コンボさ」
フィクサーSがはれ物に触るような口調で尋ねる。
『勝算は、あるんだろうな』
ナナシは質問を聞き流し、ご満悦に口元をつり上げる。
「やる気がみなぎる餌をばらまいたら、予定調和で効果てきめんだったし。あちらさん、僕の〝伝言〟を目の当たりにしてブーストかかったみたいだ。にひっ。こうでなくちゃ、ぞくぞくしない」
『「伝言」ってのは初耳だぞ。何しでかしたんだ、おまえ』
「人聞きが悪いな。他愛ないいたずらだって」
ナナシはおどけた。
『おまえのいたずらほど、始末におえないものはないんだよ』
「信用ゼロとは、へこむわ~。まぁあんたは僕の悪事を熟知してるし猜疑心マックスなのも、さもありなん、か」
皮肉たっぷりの自虐をかました。
「白状するって。さっき〈ベガ〉のプログラムいじったろ。ただ壊すなんて芸がないじゃん。だから小細工しておいたんだ。僕のみノーチェックで通れるように。顔パス、みたいに思ってくれていい。傑作なのは僕自身を識別する暗号名でな。我ながらシャレがきいてる」
『とめどなく胸騒ぎがするんだが。その識別コードネームってのは――』
ナナシは間髪入れずに答える。
「〝Abyss Root〟。老若男女をにぎわす〈
悪びれる様子はない。逆にどや顔する有り様だ。
頭痛がするのか、フィクサーSはややしばらく黙りこくった。やおら口を開く。
『なぜ彼女たちを挑発したんだ。闇雲にヤブ蛇つついて、おまえにどんな利益がある』
「『利益』とはすこぶる仰々しいな。メリットにデメリット? んなもんないね。強いて言うなら――決闘にふさわしい『晴れ舞台』を整えてやったのさ。どうせやるならクソゲーなんて、盛り上がりに欠けるだろう。神ゲーに出会えりゃ言うことなしだけど、それが高望みってことぐらいは、僕だってきちんとわきまえてる」
『道楽じゃないんだぞ……いや、おまえにとってクラッキングはゲーム感覚、か』
半ば降参というように、フィクサーSがささやいた。
ハッキングに対するナナシの倫理観は『いびつ』の一言に尽きる。そこに善悪の概念はなく、あるのは、やりがいの有無。
面白いか、興ざめかの二択だ。
『んで、勝ち目はあるんだろうな。負けたらどうなるか、「失念した」とは言わさんぞ。俺もおまえも仲良く破滅だ。俺たちは綱渡りの一蓮托生。最悪、一生ブタ箱送りになりかねない。その年で臭い飯を食いたかないだろう』
「おえっ。なんとも薄気味悪い運命共同体だ」
ナナシはえずくふりをした。
「ところであんた、ガンダムマニアじゃなかったっけ」
『なんだ、ヤブから棒に。俺はマニアってほどじゃない。ファースト辺りをコンプリートしているにすぎねぇよ』
「そいつは重畳。んで、なんつったっけ。あの、モビルスーツの周りを衛星みたいに浮遊して、ビーム撃ちまくるちっこいやつ」
『ファンネル、か?』
ナナシがかしわ手を打つ。
「おー、それそれ。謎が解けた。あんた、今日最大のグッジョブだったかもな」
『どういうことか説明しろ』
ドスの利いた声で詰問するフィクサーS。
「だから逆転の秘策じゃんか」
ナナシがキータッチを加速させた。
「名づけて、ファンネルアタック。目には目を歯には歯を、物量には物量戦を、ってね」
『おまえの意図が微塵も伝わってこないんだが……。会話のキャッチボールを一から学ぶべきじゃないのか』
フィクサーSの苦言はナナシの耳に届かぬ模様だ。
「さぁて、どう出る、お嬢ちゃん。これでこっちはだいぶ楽ちんだ。余剰タスクでついでに、ラストステージへの布石でもしておくか」
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〔続く〕